吉岡電気工業株式会社|沿革

沿革

日本初。この言葉を使うことの多い私たちです。

吉岡電気工業の歴史はそのまま日本の電気工事業者の歩みです。 日本で初めて電気工事請負業者となったのは私たちでした。ここから業界そのものがはじまったのです。昭和18年のことでした。昭和28年には日本で初めて のラップ碍子を採用し、同じく日本初のメタルクラッド式配電設備を採用、さらに昭和29年には中部電力の山口町変電所において初めてスイス製の革新機器を 設置したのです。こうした日本初の例は枚挙にいとまがありません。私たちは一貫して日本の電気工事業界の先頭を走ってきたのです。 現在では電気業界のみならず、産業界の中でもなくてはならない電気工事業。そのルーツは私たち吉岡電気工業にあります。

  • 1940年
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  • 1990年
  • 2000年

» 1940年 から 1959年まで

1943年 5月 前社長故吉岡正直が名古屋市千種区今池町4丁目54番地に吉岡電気工業を創業。
当時、発電所、変電所建設工事のうち電気工事については、全て電力会社の直営工事で施工されていたのに対し、それらの工事を請負工事として専門化する必要性を説き、日本発送電株式会社を円満退社。同時に吉岡電気工業を創業し、全国に先駆けて電気工事請負業者としての先鞭をつける。
1945年 第二次世界大戦後、戦火に見舞われた名古屋市内の電気供給のため、中部電力株式会社六郷変電所を始め、多数の変電所復旧工事を一手に引受け、 名古屋市戦災復興の原動力となる。
1947年 5月 名古屋市千種区今池四丁目54番地に吉岡電気工業株式会社設立。
1953年 5月 名古屋市千種区春岡通六丁目3番地に2,800㎡の木工及び鉄塔制作工場を完成。移動式電動ウインチの開発。変圧器の重量物の運搬据付けのため、研究を重ね移動式電動ウインチを開発し、工事の敏速化、省力化及び安全性を高めるのに大いに貢献し、電力会社よりこの効果を認められ、多数の製作発注を受け好評を博す。我が国最初のラップ碍子を採用した全国にも例のない全自動無人の乙川変電所を建設完工。我が国最初のメタルクラッド式配電設備を採用した振甫変電所を建設完工。
1954年 7月 中部電力 山口町変電所に於いて、スイス製の遮断器を初めて設置することとなり、特に命じられ、その工事に当たり、電力会社と協力し、日本初の革新的機器の据付けを終わる。
1962年 5月 超高圧大井川連系変電所の工事を施工。
1962年 7月 中部電力 生田発電所水車ガイドベーンの腐食修理に際して、名古屋工業試験所の吉田博士のご指導の下に研究した、金属粉抹溶射法により表面をコーティングし、優れた成績を収める。この工法は修理工事面に一大工ポックを投げかけ、飯田支社及び岐阜支店管下の発電所に数多く施工し、多大の貢献をする。
1964年 12月 業界で初めて移動式トラッククレーンを導入、工事の敏速化、省力化及び安全性を高める。 また、クレーン先端へゴンドラを取付け、高所作業の安全性と作業性の向上を図り、のちの高所作業車の原型を考案する。 圧縮作業において、初めて電動油圧ポンプを導入し、作業の省力化を図る。
1965年 1月 従業員の視野を広めるため、永続勤務功労者の海外視察旅行(香港・マカオの旅)を実施。
1966年 1月 中部電力最大の超高圧275kV、三河変電所を短期間に無事完工、その技術力と安全性を中部電力より表彰される。
1966年 12月 前社長故吉岡正直、長年の機械工作技術の経験を基に、日本の民間SL愛好家の中では最大の小型蒸気機関車を完成。その内の一台を名古屋市立科学館へ寄贈する。
1967年 3月 資本金2,000万円に増資
1967年 10月 前社長故吉岡正直、長年にわたり電気事業の技術更新に多大な貢献をしたとして、 黄綬褒章を授与される。 超高圧275kV西濃変電所完工。